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今日も元気で

今日も元気で

▽ 『 冥福 』 は 祈らない。





    ▽『 冥福 』 は 祈らない。 ( 2008/10/16 )





        多感な中学時代、遠藤周作氏の 『 沈黙 』と出逢い、
         「 無力なイエス 」 に 大きな衝撃を受け、
        洗礼を受けようと志した私の前に 大きく立ちはだかったのは、
        『 親鸞 』を熱心に勉学し、多数の経文をも諳んじている父であった。


           「 洗礼を受けるなら、
             まず、この父を論破し、父を超えてゆけ 」


        以来、父と格闘し、親鸞と格闘し、挙句に社会学を専攻し、
        浄土真宗本願寺派の 基幹運動 について学生時代の3年間を掛け、
        京都の本山にも学び、あくせくと卒論を仕上げた私なのである。。。



       「 その割には、『 冥福 』 という言の葉をよく使うぢゃないか 」

        、、という痛いご指摘を私書箱にお受けしたので、丸半日考えました。




        おっしゃる通り、

        真宗では、「 ご冥福をお祈り 」するのは禁忌なのである。

        それは、亡くなられた方々は、
        等しく全てお浄土へお還りになる「 佛 」であるから。

        よって「 冥途の旅 」などは存在しないし、
        「 冥界 」での「 幸福 」を祈っていただいては困る訳で。
        寧ろ、無礼に当たる言の葉であったりする。。。。



        しかし私は、信仰者ではなく、
        世の方々全てが 真宗の門徒さんではない訳で。


        ご不幸に遭遇した際に、その方々にこころ寄せ、
        こころから悼み、哀悼の意を表して下さる、その一般的な表現が、
         「 ご冥福をお祈りします 」という言の葉であるなら、

        私は有難くいただくものであるし、
        「 共通語 」として、私自身も使用して来たのだったが。



       【 無礼に想う 】 方々もいらっしゃるなら、
         今後は考えなくてはならないなぁ、と 少々反省(汗)。



◆   ◆   ◆



       、、と、午前中にご指摘をいただいたことから、
      あれこれと想い、反省もし、煮詰まってしまい。

      午後から「 ご冥福 真宗 」でちょっとググってみる。

      この問題に引っ掛かられた方々は、多いようで、
      ずらずらとヒットするなかで、
      とあるお寺さんの、判り易く整理中、でいらっしゃるサイト を発見。


      そこには、


         人の「こころ」は目に見えません。
         言葉の違いをハッキリ区分けされているのが「日本語」なのですから、
         あなたの「 追悼の心 」に添ったふさわしい「 言葉 」や「 文章 」で、
         目に見えない「 こころ 」を「 形(言葉や文章)」にして、
         お伝えさせていただきましょう。 



      とあり、頭を殴られた心地がする。


          、、私のように、識りながら遣っていた、これが一番性質が悪い。

      そんな四角四面に考えるものでもない、と考え、
      そして、佛教やら何やらが混沌としたこの世界を 私は愛してはいても、

      「 温故知新 」 を常に意識し、言の葉をとても大事にしたい、と
      常日頃から精進しようとこころがけているハズの自分が、
      「 ひとが遣ってるから遣う 」 と安易に 「 形 」を踏襲する。
                          。。。。一番性質が悪い。。(-_-)。


      弔意を表すのに、よりふさわしい言の葉とは、以下のようなものであるようだ。


        ● 謹んで哀悼の意を表します
        ● ご遺徳を偲び、哀悼の意を表します
        ● ご逝去を悼み、慎んでお悔やみ申し上げます
        ● ご生前のご苦労を偲び、謹んで敬弔の意を表します
        ● ○○様のご逝去を悼み、慎んでお悔やみ申し上げます
        ● ○○様のご逝去なされたと聞き、深い悲しみに沈んでおります
        ● ○○様のご逝去、衷心哀悼の極みに存じます
        ● ご遺族さまのご愁嘆いかばかりかと拝察申し上げます
        ● ご逝去の報に驚いております
          さぞかしお力をおとしでございましょう
          申しあげる言葉もございません


      う"~ん。 弔電によくある形ではあっても、
      こうした言の葉なら、あらゆる宗派を超えて、悼むこころをお伝えできる。



        そして、本日、改めて気付いたのは、
        佛教自体が、「 如何に生きるか 」 な、
        或る意味学問のようなものである、ということの再認識と、

        佛教には「 冥途 」は存在しないのであり、
        「 冥福を祈る 」言の葉は、
        真宗のみならず、良くないものである、ということである。

            ぅむむむ。 確かにそうだ。
            これは目からウロコであった。


                私書箱にメール下さった匿名さんに、こころから感謝を。
                とても勉強になりました。
                お教えいただき、有難うございましたm(__)m。



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